ペーパーボーイ
「ペーパーボーイ」 作:ヴィンス・ヴォーター 訳:原田勝 発行:株式会社岩波書店
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1959年、アメリカ南部、テネシー州メンフィス。
吃音に悩む11歳の「ぼく」は、友だちの代わりに1か月新聞配達をすることになった。
そこで「ぼく」はいろいろな人と出会う。
そして「事件」も――。
作者の経験をもとに書かれた、自伝的小説。
したがって作者自身も吃音者である。
登場人物にはそれぞれモデルがあり、
出来事も実際にあったこと…かな?そこまでは書いてなかったけど。
たぶん最後の「事件」はフィクションだろうなとは思った。
それと「ぼく」に精神的影響を与える「スピロさん」はつくった人物だそうだ。
そのスピロさんが言った言葉から。
「人生でもっとも美しいめぐりあわせのひとつは人がこれはまさに自分のためにあると感じることにとりくんでいる場合だろう。
残念ながらそういう状況はめったにないがね」
それから、ぼくの大事な友だちである、メイドのマームの言葉。
「魂はだれにも見えないその人の一部さ。
でも人がこの世で生きているうちにもてる最良の部分なんだ。
なぜって魂は神様が見守っていてくださるんだから」
マームは黒人で、人種差別の話も出てくる。バスに乗ると座る位置が決められているとか。
魂うんぬんは、マームが信心深いところから出てきた言葉。
というように、吃音だけでなく多様な主題を内包している物語である。
最後に「ぼく」が大人に早くなりたい、と語っている部分。
「ぼくが大人になりたい理由は二つある。
ひとつはどもりが治るかもしれないから。
大人になってもどもる人がいるのは知ってるけど運のいい人は治るってことも知っている。
とにかくそれがいつも注射をしてくれるお医者さんがお母さんにしきりに言っていることだ。
もうひとつの理由は大人になったらかしこくなって胸の底に沈んでいるいろいろな気持ちをどうすればいいかわかるようになると思うから。
なによりマームをたすけてやりたいしワージントンさんの奥さんも助けてやりたいのに今はどうすればいいかわからない。
最悪の気分だった。どもるのと同じくらい最悪だ。」
うーん、大人になってもどうしていいかわからず沈黙してしまうことは多いけどね。
ってそれはいかんことだな。もっとしっかりしなくちゃいかん。
勇気を振り絞って言葉にしなければならんわ。
ってことで。
これはどうでもいいことですが。
上の引用を見ていただくとわかりますが、文章に「、」がないんだな。
「ぼく」は「、」をつけるのがいやなんだそうだ。
それと改行したら日本語は一字あけるけどそれもない。
これはどうしてかよくわからないけど、
英文の雰囲気を出そうとしているのかもしれない。
なかなかおもしろい本でした。続編も読んでみたいと思います。
“PAPERBOY” by Vince Vawter(2013)
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