廉太郎ノオト
「廉太郎ノオト」 作:谷津矢車 発行:株式会社中央公論新社
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瀧廉太郎の伝記小説である。
どこまで事実と符合しているのかわからないが、
とてもおもしろく読むことができた。
読書感想文コンクールの課題図書は、おもしろくないことがままあるが、
この本は高校生諸君だけでなく、大人が読んでおもしろい本である。
この本のすばらしさは、
筆者が音楽のことをよく知っているのだろう、と思われるところである。
たとえばこんな感じ。
「廉太郎は己の頭上まで右手を上げ、鍵盤に向かって振り下ろす。
指の力で弾くよりも大きな音がするが、指の付け根が痛い。
今度は指全体に力を込めて同じことをする。すると、
明らかに指先だけよりも大きな音が響いた。
廉太郎の中で何かがはじけた。
頭上まで手を上げるのは現実の演奏に即していない。もしやるとするならば――
廉太郎はまず、指で鍵盤を叩く。力加減にもよるが、総じて小さな音が出る。
次に指を固めて手首のしなりで鍵盤を叩く。指のみよりも力強い演奏になる。
次に手首までを固めて、肘を支点にして鍵盤を叩く。手首での演奏とは比べ物にならないほど大きな音が出る。
次に、肘まで固めて肩で演奏する。腕そのものの重さが加わり、さらに音は大きさを増した。
廉太郎はこれまで、自分の体重を使って演奏をするという考えを持っていなかった。
指に合った大きさの鍵盤に惑わされて、指先だけで弾いていた。」
長くなったが、こういう描写はピアノを弾いてなければ書けないのではないか、と自分は思うのである。
谷津さんがピアノを弾かれるのかどうかは知らない。弾かないとすればよほど演奏のことを勉強されたのだろう。
それほど、この一節にはうならされた。うーむ、ピアノとはこう弾くのか、と。
演奏とはこういうものなのか、と。
今までピアノ曲を漫然と聞いていたが、聞き方を改めなければならないと思った。
瀧廉太郎の生涯があまりに短かったことは、残念でならない。
もっと長く生きて、音楽を広めてほしかった。楽しい曲を書いてほしかった。
最後にもう一か所抜粋で。廉太郎とバイオリニストの幸田幸がモーツァルトの「ピアノとバイオリンのためのソナタKV380」を重奏するところを。
「音と音が混じり合う瞬間の火花に、廉太郎は魅せられてきた。今日までも、そして未来(これから)も。
期待に応えるように、幸がバイオリンで応じた。静かな立ち上がりで廉太郎のピアノに寄り添うほどに絞った音量だったバイオリンが、
曲の途中の掛け合いとなった瞬間に牙を剝いた。
廉太郎が重力奏法を用いて強く旋律を押し出せば、幸もまた強く押し出してくる。
廉太郎が繊細に打ち返せば、幸もまた子守歌のように優しい音色を返してくる。」
モーツァルトのCDあったかなあ、さがしてみよう。
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