ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集

ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集

「ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集」 作:斉藤倫 絵:高野文子 発行:株式会社福音館書店

きみはいつものように、あけっぱなしの玄関から、どんどんぼくの部屋にあがりこみ、ランドセルをおろしながらこういった。
「せんせいが、おまえは本を読めっていうんだ。ことばがなってないから」。
ぼくは一冊の詩集をきみに手渡す。「ここんとこ、読んでみな」。
詩は、おもしろい。そして、詩はことばを自由にし、ことばはわたしたちを自由にする。
20篇の詩を通して、詩人斉藤倫と楽しみ、考える、詩のことそしてことばのこと。

詩人(ではないと本人は言ってますが)の家にやってくる、
今は亡き詩人の息子(多分小学生)。
二人は食べたり飲んだりしながら、言葉のことを考え、そして詩を読む。
そして、それを読むわれわれ読者も、詩や言葉のことについて考える、という趣向だ。

ぼくはどちらかというと詩は苦手で、
この本に載っている詩も、それが何を意味しているのか、
理解できないものがたくさんあった。
「感性」の問題なのかなあ。
だから、「まあこんなもんかな」みたいな、とぼしい想像力で読んでいる。
自分一人で読む分にはそれでいいとして、
子どもに「この詩ってどういう意味ですか?」なんて聞かれたらこまってしまう。
ただ、結局のところ自分の感じ方、読み方で理解するしかないんじゃないのか。
この本も、載っている詩の解説はない。
それぞれ自分で考えろってことなんだろう。
詩に限らず、文学とはそういうものなんだろう。
「言葉」だって、相手が言いたいことと、自分が理解したこととはちがうことがままあるじゃないですか。

まあそんなことを思いながらこの本を読みました。
「小学校中学年から」とあります。
子どもはもちろん、大人もじゅうぶん楽しめます。

“Boku ga Yubi wo Pachin to Narashite, Kimi ga Otona ni Naru Mae no Shisyu” by Rin Saito(2019)