ヒマラヤに学校をつくる

ヒマラヤに学校をつくる

「ヒマラヤに学校をつくる カネなしコネなしの僕と、見捨てられた子どもたちの挑戦」 作:吉岡大祐 発行:株式会社旬報社

父は「子どもは勉強なんてしなくていい。しっかり遊べ」と言った。
どこかへ出かけるたびに、「探検をして、なにか見つけてこい」と言われた。
そして筆者はのびのびとした青年に育った。
鍼灸師の資格を取り、アメリカを目指すはずだったのが、ひょんなことからネパールへ。
そこで筆者が見たものは――貧困に苦しむネパールの人たちだった…。

貧しく、また厳しいカースト制にしばられてネパールの人の多くは、学問も受けられず、子どものうちから働いていた。
ネパールの窮状を見て、いつしか筆者の心に、「ネパールで学校を作りたい」という気持ちが芽生えてきた。
カネもなくコネもなく、だったが少しづつ協力者が現れ、資金も日本の人々の寄付などが集まってきた。
少ない資金で学校を建てるため、「手作り」で学校を建て、ついに開校。
しかし、解決すべき問題は次々と筆者に降りかかる…。

こんな感じでしょうか。
しかし、吉岡さんには頭が下がります。
「心血を注ぐ」とはまさに彼のことでしょう。
彼のすべてを投げうってネパールにかけるその意気込みたるや、
とてもまねのできることではない。
ネパールにはカースト制をはじめとする旧態依然のさまざまな悪制が残っており、
日本人には理解しがたいことも多い。
そんな中で「学校をつくる」なんてことは、おそろしく困難なことだったろう。
(そのあたりは本に書いてある)

だから素朴な疑問として、「吉岡さんの収入は?どうやって得ていたのか?」という疑問がわいてくる。
その辺のことは書かれてないんですが。
やはり日本からの支援を受けていたのでしょうか?
ネパールの人から収入を得ていたとは考えにくいし…。
鍼治療はどうも無償で提供してたみたいだし…。
まあ、下衆の勘繰りってやつですね。
こんなこと考えていたら学校は建たんだろうな。
「無償の愛」、これですね。
吉岡さんにはたくさんの「愛」があるんだと思いました。

吉岡さんの活動は、テレビなどでも取り上げられているそうで、
ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、
まとまってじっくり読んでみるのもいいと思います。

若い人たち、そして大人も、大きな夢に向かっていく吉岡さんの体験を、
読書で体験してみましょう(!)。

“Himaraya de Gakkou wo Tsukuru” by Daisuke Yoshioka(2018)